第1章 13段の階段 -4-
「モデル・エージェンシー・エスプリ」という表札がかかっている。
さえない名前だな、モデル事務所なのに、と真一は思った。
まあ、モデル事務所が新大久保の歓楽街のはずれの雑居ビルの2階にあること自体が不思議ではあるがと、真一は思い直した。
階段を死ぬ思いで登ったことで、真一は疲れていた。もう短いジーパンも、ミッキーのTシャツのことも忘れていた。今は早く取材を終えて、自宅の熱帯魚に餌をあげたかった。
チャイムを押しても、返事がない。
こういう場合は、勝手に入っても、ネタを取ってこいと、新人時代に先輩に仕込まれていた。
真一は他人のプライバシーを大事にする男だが、薬を飲んだ安心感もあり、思い切ってドアを開けた。
フローリングのワンルームだったが、かなり広い。25畳は十分にある。
部屋の中央に白い塊がある。
誰かが寝ているのかなあ、と真一は恐る恐る中に進んで、息を飲んだ。
そこには白いドレスの少女が2人、手をつないで並んで横たわっていた。血の気のないことから、死んでいるのは真一にも明らかだった。
さらに真一が驚いたのは、そのふたりを取り囲むように、白い四角い枠ができており、よく見ると、それは百合の花弁だった。花弁は寸分違わぬ均等な大きさで、一列に並んで少女たちを取り囲んでいた。
少女たちの死よりむしろ、真一はそのゴシック的な形式美に圧倒された。それは今まで見続けてきたどの美術品よりも端正であり崇高であった。
何分経ったか。真一は我に返り、現実に戻った。大きな窓の外は隣の雑居ビルの壁が連なっている。その壁と壁の隙間から、山手線の電車が見えた。真一はようやく立ち込めている死臭に気づいた。
真一は窓を明け、状況を把握しようとした。そかし、頭が混乱してうまく考えられない。そしてようやく気づいた。「ここにいてはまずい」
真一はあれだけこだわった階段を駆け下り、路上から110番通報した。
そして、電柱にもたれかかり、激しく嘔吐した。
やがてサイレンの音がして、パトカーが2台やってきた。
「すいません、2階で、お、お、女の子がふたり」
警官たちはうなずくと、階段を慌ただしく駆け上がっていった。
周囲に見物人たちが集まってくる。
ヘリも飛んでいる。
やがて、雑居ビルの周りにロープが張られ、警官たちが数を増した。
「あなた、毎朝の記者さん?」
うずくまっている真一に、先ほどの警官が問いかけた。
「そうです。さっき電話で言ったとおりです」
警官は不思議そうに、首を傾けている。「ちょっといいですか」
警官2人に両脇をつかまれて、雑居ビルの階段を再び登った。
「また入るんですか」
真一は抵抗した。
「あなた、第一発見者ですから、それに」警官が口ごもった。「あなたの言っているような死体はないです」
「えっ!?」
「死体はひとつです。どうぞ」
真一は警官に抱きかかえられながら、室内に入ると、部屋の真ん中には、裸の男が転がっていた。正確にいえば、白いブリーフをはいた男が一人。腹が異様に膨れ上がっていた。失禁していて、白いブリーフは汚れていた。どう見ても、それは飯田だった。